人との付き合い方
今日は「人との付き合い、すなわち友人、恋人、そしてその先の結婚について」今考えていることをお話ししようと思います。
(今回は完全に自分の考えアウトプット編です。
筆者の一意見として読んでみてください。)
【目次】
◆人との関わり方一般について
・「他人の気持ちに共感する」というのは人が生きていくために必要な能力
人間は生活の多くの時間を集団として過ごしています。
狩猟採取時代では大勢で協力して食料を確保し安定した生活をしていくために、集団を構成する必要がありました。
現代になると、世界はさらに広がり、世界中の方々と繋がりながら生きていることは、以前「君たちはどう生きるのか」の「人間分子の関係 網目の法則」でご説明しています。
このように人と協力して活動するため、私たちの脳は相手への共感や同情を可能にしました。
これはミラーニューロンという神経細胞によって行われていると考えられています。
この神経細胞は自分が何らかの行為をしている際に反応を示しますが、自分以外の誰かが自分と同じことをしているときにも、同じように反応するという特徴を持っています。
この神経細胞が働くと、相手との関係性の間に結びつきを感じることができます。
また、相手の行動を真似して、行為を学習することもできるのです。
さらには、ミラーニューロンはこの特徴を使い、相手が何を考えているかを読み取るサポートも行ってくれます。
ミラーニューロンはサルで発見され、人間でも存在することが発見された神経細胞なので、霊長類にしか見られない、もしくは霊長類に特に発達している神経細胞なのでしょう。
進化の過程でそのような機能が残ったということは、その方が生存に有利であったからだということができるため、相手との結びつきを感じ、共感ができるということは、人が人であるために必要な機能の一つである、と言うことができると思います。
実際、敵から身を守る必要のない現代においても、人との繋がりが寿命に関係しているという研究結果は多く見られております。
社交的な人が長く健康に生きることができますが、孤独だと、病気になり早死する可能性が高いということです。
・ストレスや不安も他者と関わっていくための性質である
このようにお互いがお互いを助け合って生きていく性質を強く持つ社会であれば問題はないかもしれませんが、人間はその性質や環境、知識の違いなどから同種である人間同士で争いを続けてきました。
そのため、安定的に暮らせるようになった人間が、安全に暮らすために次に対策するべきは、人間からの攻撃でした。
人は自分に害のある人間を見極めるために、自分に危害を与えかねない人に対してストレスを感じるようになっています。
ストレスを感じる機構は人間だけに備わっているわけではありません。
鳥やトカゲ、犬や猫なども根本的には同様のシステム、すなわちHPA系でストレスを感じています。
HPAとは、視床下部(Hypothalamus)、下垂体(Pituitary)、副腎(Adrenal glands)の頭文字のことです。
つまり、HPA系とは視床下部ー下垂体ー副腎のつながりのシステムのことを指します。
視床下部という脳の内側の部分は、体の内分泌(ホルモンなど)や自律機能の調整を行う中枢です。
その視床下部から下垂体へ信号が送られると、下垂体は様々な物質を放出し、ホルモン分泌の調整を行います。
その物質の中に副腎に機能するものがあり、その物質は副腎からストレス物質のコルチゾールを分泌させます。
コルチゾールが分泌されると、心臓の鼓動が速くなり、体温が上昇し、睡眠や消化が後回しにされ、性欲が減退します。
危険から身を守るとき、筋肉に血流を回し、逃げるか闘うかの行動を行うためです。
この行動の発火装置は「扁桃体」と呼ばれる脳の内側に存在するアーモンド状のエリアです。
扁桃体は危険を感知すると、その刺激を視床下部に伝え、HPA系を発火させ、身体に血流を回します。
このシステムは不快な感情にも繋がり、人と人とが共生するために必要な機能だったと考えられます。
それは、自分にとって嫌な行動をする人間を嫌だと理解できないと、その点を指摘したり、その人から離れることができなくなるため、共同生活が難しくなるからです。
これらの内容はアンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」にて記載されています。
スマホがこの脳の構造をどのようにハックしていくのか知りたい方は、同書を読んでみてください。
・他人の靴を履いてみる
ミラーニューロンによる共感やHPA系によるストレス機能を用いて、人が共同生活できるのはせいぜい150人程度だと言われています。
実際に狩猟採取民族などでは最大150名程度の集団を形成しており、それ以上大きい集団は見られなかったと言われています。
しかし、現代では自分と姿や言語、環境が大きく異なる人たちとの関わりも求められるようになりました。
その機会に多寡はあるものの、これが現代に生きる私たちの、ストレスの一つの原因になっているのではないでしょうか。
これまで説明してきたように、人と関わるということは、本能的な欲求であると同時に、ストレスを伴うものです。
そのため、自分と、性別や体格、文化の違う方々と関わる際にストレスを感じるのは、ある種当然のことなのです。
しかし、現代社会において充実した役割を果たすためには、これらの人々への相互理解に関する知識やスキルが求められております。
そのために、色々な教育がおこなわれていたり、相互理解に関する本が出版されているかと思います。
このスキルの中で、特に必要とされているのが「empathy(エンパシー)」でしょう。
エンパシーとは、日本語では「共感」「感情移入」などと訳されていますが、これでは「シンパシー」と似た意味になってしまいます。
英英辞典などではsympathyは「誰かを可哀想だと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」と説明されています。
つまり、感情や行為を示す言葉なのです。
一方でempathyは、「自分がその立場だったらどうするだろうと想像することによって、誰かの感情や経験を分かち合う能力」と説明されており、能力を表す言葉だということがわかります。
人は往々にして、自分の経験や立場に依存して物事を話す傾向にあります。
これはその方が楽だからです。
しかし、昨今の社会で求められるのはempathyのように、自分が経験することのできない立場の人たちに対し、理解を示す能力だと言われています。
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ではこのエンパシーを「他人の靴を履いてみること」と端的にいい表しています。
これは英語の定型表現なのですが、インターネットが発達し、他者と容易につながることができるようになった現代では、こうした感覚が非常に重要になってくると考えます。
・大事なのは「課題の分離」と「自分の影響の範囲に集中する」こと
ここまで話してきたことをまとめましょう。
まず、人が他人と関わりたいという性質は、人間の本能的な欲求であり、社交的に他者と関わることが、健康的に生活する上で必要なものなのです。
しかし、人と関わるためには、「嫌だ」ということを相手に伝え、良好な関係を築くために、ストレスを感じる必要もあります。
これが一緒に過ごしていてストレスを感じることが少ないなら良いですが、人は自分と相違点が多い人との関わりの際には、強いストレスを感じます。
しかし、現代社会では多種多様な人との関わり合いが求められているため、簡単にこれらの交流を避けることができません。
そのため、相手のことを理解するエンパシーという能力が必要になっている、ということをお話しました。
ここまで聞いてみると、相手の気持ちを配慮して行動できる方の生き方ってなんだかすごいストレスフルだと思いませんか?
人と関わるときに、どうしてもストレスはかかるのに、そのストレスを素直に表出することができないなんて。
だからこそ、私は「課題の分離」と「自分の影響の範囲に集中する」ことが重要だと考えています。
「課題の分離」とは、ある出来事に対する反応を自分の課題と相手の課題に分ける、というアドラー心理学の考え方です。
アドラー心理学は「嫌われる勇気」で有名ですね。
相手に怒ってしまった後、相手に謝るのは自分の課題ですが、相手が許してくれるかどうか自分がどう頑張っても相手の問題です。
このように、自分ができることは何なのか、自分にできないことは何なのか、を分けて考えることが非常に重要なのです。
次に、「自分の影響の範囲に集中する」ことが重要です。
先ほど分離した課題の中から、自分の課題、つまり自分が影響を与えることができる範囲の行動に集中するということ、が重要になるのです。
例えば、私が誰かといるときに、私の価値観にそぐわない行動を、その方が行った場合、強いストレスを感じてしまうでしょう。
(私の場合なら、「道にゴミをポイ捨てする」、「自分の恋人を召使いのよう扱う」にとかでしょうか。)
そこで自分の影響の範囲に集中できていれば、相手にその行為が嫌だと伝えることや、そのことを忘れて別の行動をする、など相手に必要以上に期待しない行動を取るでしょう。
しかし自分の影響の範囲に集中できていない場合、その人がそのような行動をするのに納得がいかず、相手を叱責したり、悶々とした思考を反芻することになってしまうかもしれません。
(脳疲労が溜まった場合では、私もそのようになってしまいます。)
また、自分が行ってしまったことに対して、相手がどう思うか、ずっと不安に感じている方もいらっしゃるでしょう。
これらは、自分の影響の範囲の外で悩んでしまっており、完全に相手に反応してしまっています。
相手に反応してしまうと、自分で感情や行動を制御できないため、ストレス反応は大きくなってしまいます。
相手の行動に対して自分の行動を変えるのではなく、自分の手綱は自分で持って置くことが必要なのです。
前回の記事で、同じストレッサーに対しても、人によってストレス反応は異なり、それはスキーマなど、自分の考え方に依存するということをお話ししましたが、それと同じことです。
・もしそれでも反応してしまったら…
ただ、すぐには反応しないようにすることはできないでしょう。
自分の価値観と違う行動が認められない時も多いでしょう。
その際には、マインドフルネスを行いましょう。
マインドフルネスには前頭前野の血流を増加させ、この領域を活性化させる作用があります。
前頭前野の、特に前頭眼窩野は扁桃体の活性化を抑える領域なのです。
そのため、不安やストレス反応をより小さくする効果があると考えられます。
また、DMNが抑制されるので、反芻思考による脳の疲労感なども軽減されます。
◆恋人・結婚
では、より密接な関係の恋人に関する話をしていきましょう。
と言っても、友達関係と恋人関係の大きな違いは気持ちくらいじゃないでしょうか。
これって、ドーパミンのせいなんですよ。
・恋人との付き合い方
皆さんは恋人についてどのような考えを持っているのでしょうか。
私は、恋人には恋愛感情を抱いて付き合うことが多いですが、最終的には「異性の親友」という立ち位置を付与することを目指して、付き合いをしています。
これは恋人も一人の自立した人間であり、その行動や考えは容易に変更できるものではない(そうした行為は自分の影響の範囲の外にある)と考えているからです。
長期的にみた時に、恋人との付き合いの中でうまくいかなくなる原因の多くは、「相手が自分の考えの通りに動いてくれない」からだと思います。
例えば、「付き合うまでは連絡をまめに取り合っていたのに、付き合って半年が経って、こっちから連絡しないと連絡してくれなくなった(まめに連絡をし続けるのを期待しているが、そうしてくれない)。」とか「どんどん束縛が激しくなってきて、窮屈だ(もう少し自由に行動したいのに、相手がそうさせてくれない)。」など。
そして、一緒にいるのが辛くなったり、相手への気持ちが尽きて、結果として別れる。
こんな流れじゃないかと思います。
ただ、この相手を友人に置き換えて見ましょう。
相手が友人であれば、ある程度の信頼感をもちつつ、相手への敬意を払うかと思います。
あまり、「どうして俺のいう通りに行動してくれないのか」「なぜ私の考えを理解してくれないのか」などと友人に詰め寄ることはないかとおもいます(これをしょっちゅう行なっていると、友人からも嫌われてしまう可能性があるので…)。
では、なぜ恋人と友人でこの差が生じるのでしょうか?
これは相手に対する配慮の必要性の有無によるものだ、と私は考えております。
二人の恋愛感情が燃え上がっている間は、相手の欠点すらも美しく見えるので、こうした配慮がなくても関係は良好なままいられるかと思います。
もしくは、相手に欠点を見せないように気を張っていても、苦にならないのかもしれません。
ですが、恋愛感情というのは、報酬物質のドーパミンが放出されている状態に過ぎません。
しかし、ドーパミンの放出はいずれは減少してきます。
一般的に、恋愛感情をもつ相手に対する、ドーパミンの放出は2~3年程度で落ち着いてくると言われております。
そのため、多くのカップルは2~3年以内に結婚しないと、恋愛感情を消失して、別れてしまうのですね。
恋人関係に慣れてくるとどうなるのか?
それまで美しく見えていた相手の欠点がそのまま欠点に見えたり、相手に見せないように努力していた欠点を相手の前で晒すことにつながるでしょう。
結局、恋愛感情だけではうまくいかないのです。
大事なのは、お互いの価値観の擦り合わせを行い、良い関係を継続できるようにお互いがお互いの幸せを願うことです。
これはどちらかが自分のことだけを考えてもいけないので、非常に難しい作業です。
脳科学的にいうと、脳の中ではオキシトシンが放出される状態になります。
あなたがいてくれるだけで幸せ、あなたが幸せなら私も幸せ、というような状況はオキシトシンによるものだと言えます。
価値観は不変のものでもないですし、一様なものでもないため、擦り合わせは大変です。
どうしても譲れない部分は誰にでもあるものです。
恋人であっても他人ですからね。
価値観が違うのは当たり前です。
ただし、恋人関係になった後に、このような擦り合わせを行わずに長く過ごすと、二人の間には相手に対する固定観念が出来上がっていくことになると私は考えます。
この固定観念が、「相手は自分とは異なる人であり、尊重すべき相手だ」ということを忘れさせてしまいます。
結局、大事なのは恋愛感情を抱く相手に対しても、友達関係と同じように、相手の価値観を尊重し、そして「相手の靴を履いてみる」という共感力もって接することだろうと考えております。
・相手にイライラした時の対処法(エクスプレッシブライティング)
それでも相手にイライラしてしまう時はどうしてもありますよね。
前に書いた通り、自分と異なる考えを持つ人が一緒にいる場合は、ストレスも必ず生じるのです。
そうしたとき、そのことを忘れようとすると、逆に人間はその記憶を強く保持してしまいます。
この現状を確かめた実験を「シロクマの実験」と言います。
シロクマの実験は以下の内容で行われました。
まず、シロクマの一日を追ったドキュメンタリーを3グループに分けた被験者に見せます。
その後、グループAの被験者には「シロクマのことを覚えておいてください」と指示を出しました。
グループBの被験者には「シロクマのことを考えても考えなくても良いです」と指示を出しました。
グループCの被験者には「シロクマのことは絶対に考えないでください」と指示を出しました。
そして、一年後シロクマのことを覚えているか各グループの被験者に尋ねました。
すると、最も鮮明に覚えていたのは、なんとグループCだったのです。
このように私たちは忘れようとこだわっていることほど、皮肉なことに忘れずにいるものなのです。
そのため、このような忘れられない嫌な感情に対し必要なのは、そのとき抱いた感情を整理することなのです。
これを行う方法がエクスプレッシブライティングです。
エクスプレッシブライティングでは、その嫌な感情を文章化してみます。
メモ帳など、真っ白な紙に、自分の頭に浮かんだことをそのまま書き出してみましょう。
すると、そのとき抱いた感情が明確になり、整理することができます。
そして、感情を整理することにより「そんなこともあるか」「そんな人もいるか」とその出来事を許すことにつながるのです。
ゼロ秒思考で記載されている内容も同様のことで、自分の気持ちを白い紙に書き殴ります。
また自分の考えを文章化して、書き出す作業は、認知行動療法において、自分の状況を把握するためにも重要な行為です。
結局自分のことを癒せるのは自分です。
これはドラゴン桜でも言われていましたが、真理だと思います。
そして、自分を癒すという行為は、不完全な自分を許すということです。
人間は不完全なものとして認め、そんな相手も、そんな相手に苛立ちを感じる自分も、許してしまいましょう。
・結婚に夢はあるか?結婚したことで手に入るものは現実的なもの
恋人関係がさらに発展すると結婚を考えることがあるかと思います。
ただ、結婚って、皆が行なっているからやりたい事から、選べるオプションのような選択肢になってきているように感じます。
事実婚、独身貴族、同性婚など多様な選択肢が出てきましたよね。
ですが、結婚を切望する方が多いのもいまだ事実です。
私もその一人です。
ただ、私の考えは皆さんと多少異なるかもしれません。
ここで質問なのですが、結婚で手に入るものって何でしょう?
「幸せな家庭を築く」、「お互いを支え合う生活」、「ロマンチックな思い出の結婚旅行」とかでしょうか?
個人的見解ですが、現代では、これらは結婚しなくても手に入れられるものだと思います。
夫婦という形に縛られたく無いから籍を入れずに事実婚状態になっても、これらのことはできますよね。
これを考えると、実質的に結婚で得られるのは、現実的なものなのではないでしょうか。
そこで、結婚で得られるものを具体的に5つ挙げてみようと思います。
1. 家族手当/扶養手当が支給され所得が増える
会社や企業に勤めている場合、結婚することで家族手当や扶養手当がプラスされます。
私の前職の同期にはこれをもらうために大学生の内に結婚している人もいました。
2. 配偶者控除を受けられる
どちらかが働いていて、もう一方が無職または年間の給与所得が103万円以下の場合には「配偶者控除」が受けられます。
3. 扶養になれば国民年金の支払いも不要に
扶養に入ると、その人は国民年金の支払いが不要になります。
結婚により、金銭面のメリットが大きいことがわかります。
4. 病院での手術同意・面会・死後の葬儀・納骨など
事実婚の方だと、契約などを交わしていないと病院での手術同意や面会などができないようです。
事実婚などでは、書面上、家族だと証明できるものがないので、家族だと第三者に理解してもらわないと享受できないメリットが受け取れないようですね。
5. 生命保険の受取人
生命保険の受取人にもなりにくいようです。遺言書などがあれば大丈夫なようですが、不安材料は残ります。
結婚で得られるものって、金銭的な部分に偏っているようにも見えますね。
これは、結婚制度がそもそも明治民法により、庶民の結婚に「家制度」や「家父長制度」に取り込まれたことが原因のようです。
この制度により、妻の経済的自立と自由が奪われることが当たり前になってしまいました。
そして、その妻をサポートするために上記のような制度が設けられたと考えたら納得いくのではないでしょうか。
・結婚相手は選べる家族という夢はある
そんなことを言ってきましたが、私の大好きなアーティストのsumikaさんはFamiliaという楽曲のインタビューの際に、「結婚する相手は選べる家族」だと表現していました。
せっかく選べる家族なら、良好な関係を築いていきたいですよね。
ただ一方で、上で説明したように、相手は他人であることを忘れてはいけません。
他人であり、家族である、という一見矛盾したこの関係が恋人や結婚相手に求められます。
だからこそ、恋人や夫婦であっても、相手の立場に立って話してみることや、嫌なことを擦り合わせておく必要があると考えています。
その土台があった上で、お互いを尊重し、信頼しあった良好な家族関係が構築できるのです。
これらの話はさわぐちけいすけさんの「妻は他人 だから夫婦は面白い」などに記載されています。
素晴らしい考えですよね。
・お互いがWin-Winになるところを目指す
友達関係や、恋人、家族関係を構築するときに、重要なのが、Win-Winの関係を作るところだと考えています。
どちらかが損をする関係は長続きしないですよね。
だからこそ、一番重要なのは「相手のことを理解しようとする」ことです。
相手のことを理解するって、当たり前のようにも感じますが、めちゃくちゃ難しいです。
正直、完全に理解することなんて誰一人できないと思います。
(だからこそ、自分で自分を癒せる必要があるのですが…。)
だからこそ、理解しようとするという姿勢が重要になります。
ただし、ここに注意点があります。
あなたが、相手のことを理解しようとして話を聞くとき、自分の考えや経験に当てはめて考えようとしていませんか?
話を聞いて、「そういう考えの人いるよね。でもそういう時には…。」とか言っちゃってませんか?
これをおこなってしまった時点で、あなたは相手そのものを理解できなくなってしまいます。
自分の価値観の中で、相手を判断しているにすぎませんから、あなたの中での相手は、この世にはいない、あなたが作り出した相手像になってしまうのです。
だからこそ、大事なのは、相手が自分の理解を超えるような行動をしてきても、「そういう考え方もあるんだ」と一度受け入れることが必要になってきます。
一度受け入れてみて、自分の価値観とは合わないこともあるでしょう。
その場合に話し合いが必要になると思います。
相手に言わないで伝わる関係が理想かもしれません。
しかし、それは過去にしっかりと話し合った経験がある、もしくは長年一緒に過ごしてきた経験に基づかないとできないと思います。
話し合いを行なっても、どちらかがしんどい思いをするなら、それはその関係を続けることはできないでしょう。
もちろん、人の考えはその人の経験や知識に応じて変化するので、将来関係が修復するかもしれません。
ですが、現状、話し合ってもWin-Winの関係を構築できないと感じるなら、無理して一緒にいる必要はありません。
距離を取るなり、別れるなりという選択にしたほうが健全だと思います。
だって、一緒にいたいから関係性を構築したのに、そのせいでしんどくなってしまうのは、本末転倒だと思いませんか。
もちろん、自分が取り組むべきことを棚に上げて、相手に要求ばかりしていてもいけないので。
これはあくまで、課題を分離して、自分の影響の範囲の行為をある程度実施した後の方が良いでしょう。
ただ少し性善説的ですが、十分に前向きに話し合った後なら、どのような結果になっても、相手をただ嫌いになることはないのではないでしょうか。
あくまで、大事な部分の価値観が異なっていたために距離をおくだけなので、お互いがそのことを理解できて入れば、関係が完全に破綻し、泥沼化することはないと考えています。
今回は、自分の考えをつらつらと述べました。
感情の高ぶりに関しても、セロトニントランスポーターの遺伝子多型により、個人差があるようなので、上に書いてあることが納得できない人も居るかもしれません。
そのため、今回の記事の内容は、あくまで私の一意見として、認識いただけると幸いです。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。